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まつたけ大王の雑記帳

ブログという名の箱庭療法

ひろゆきさんはなぜレスバが強いのか ひろゆきvs宮沢孝幸(京大准教授)

ひろゆきさんとのレスバトルで京大准教授の宮沢孝幸さんの怒りが有頂天になったことが話題になっている。
宮沢さんはgotoトラベルと感染者の拡大との相関は軽微だとし、gotoトラベルで救われる命もあると主張する。
一方ひろゆきさんは「gotoトラベルと感染者の拡大との相関は軽微」であるという証拠を問い、gotoトラベルで失われる命もあると主張した。
 
そもそも上で争われているような命題は答えのでないものである。
「gotoと感染者の拡大との相関」はあるとも言えるし軽微だともいえる。
gotoで救われる人がいれば、gotoによってコロナに感染する人もいる。どちらが良いとは一概にいえることではない。
 
宮沢さんの「敗因」は答えの出ないことについて、どちらが正しいかを決めようとしてしまったことにある。そして実は、ひろゆきさんはなにかを主張したわけではなく、質問しかしていない。
 

www.youtube.comこの動画でひろゆきさん自身がいうように彼はただ質問をしているだけなのである。

世の中には答えが出ることばかりではない、ということがわからないと、見つかりもしない答えを探し回った挙げ句自滅して「論破」されたようにみえてしまう。
 
「それ、あなたの感想ですよね」という名言を生み出した、小谷経平さんとひろゆきさんとの論争でも同じ理屈でひろゆきさんが「完全勝利」している。小谷さんは「踊ってみた」にはオリジナリティがないと言ったのだが、それはそうともいえるしそうでないともいえるので「それ、あなたの感想ですよね」で論破された雰囲気になってしまったのである。
 
ひろゆきさんに「論破」されないためには、答えの出ないことについて独断的に答えを主張しないことと、彼の飄々とした態度に感情を揺さぶられないようにすることが必要になる。

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僕の感想ですが、人をイラつかせる人相のパターンというものがあるのではないかと思う。


 
 
 

共感性羞恥診断withマネーの虎

共感性羞恥とはなにか
 
共感性羞恥とは、人が恥をかくような場面を見たときに、まるで自分が恥をかいているように感じてしまう心理的な状態のこと」らしいです。
ただこれは心理学の領域でも研究の途中であり詳しいことはよくわかっていません。
 
僕自身これには思い当たるフシがあり、だれにでも起こるものかと思っていたのですが、ネットで調べたところこの現象に覚えがあるのは日本人の十人に一人しかいないようです。
 
僕はマネーの虎を見ているときにしばしばこの感覚が起こりました。この番組は、見た人が共感性羞恥の持ち主か否かを判別するよいリトマス試験紙だと思います。
 
共感性羞恥を診断するためのマネーの虎の動画
 
ここに挙げる動画を視聴して辛い気分になった人はは共感性羞恥の持ち主かもしれません。
 
腕立て
世界一早く腕立て伏せができると豪語する男の回。「高速腕立て」を目の当たりにした社長たちの反応を見ているだけで辛くなってくる。
 
カウンセリングカフェ
社長から「自分の言葉で話せ」と言われた志願者が暴走しだす。見てられない。

www.youtube.com

うどん

志願者の事業計画の杜撰さに小林社長がマジ切れする。辛い。謙虚ライオンという名言が誕生した。

www.youtube.com

 
すしにんじゃ
事業の見通しが楽天的な志願者に対し複数の虎が牙を剥く。岩井社長がおかしなキレ方をしている。

www.youtube.com

モー娘。を超えるアイドル

吉田栄作が退出するというまさかの事態に。志願者にたいして腹が立ったのは僕だけではないはず。

www.youtube.com

ミールソリューション型レストラン

志願者が社長の質問にしどろもどろになっていて見ていると辛くなる。
 
高級オーダーカーテンの激安販売
職人気質の志願者の態度が岩井社長の反感を買う。
 
ベトナムno1歌手
歌手としての実力を披露するために歌い出す志願者。しかしお世辞にも歌の実力は高いとはいえず、にも関わらずノリノリで熱唱しているのがなんともいえない。ほかの動画と比べると見ていてほほえましいのが救い。
 
ヨガ
志願者の経営者としての知識不足が虎の怒りを買い、いやーな空気に。

www.youtube.com

www.youtube.com

僕はマネーの虎の動画に関してほとんどの回を2回以上視聴しているのですが、腕立てとカウンセリングカフェについては2回目以降の視聴をする気になれません。

 
上の動画で辛くなった人たちが安心して視聴できる動画。
 
うんちくカフェ
「進化するコンビニ型カフェ」を提案するデータ狂の志願者は、数字に厳しい小林社長をして「ここまでの資料を見たのは初めて」と言わしめた。
 理屈がたちそうな志願者に、劣等感を刺激されたのか妙に絡む川原社長がこの回のハイライト。飛行機のくだりの意味不明さは、番組側からも「妙なうんちく返し」といわれる始末。
 
ケバブがまじでうまそう。堀之内社長が投資をした珍しい回。

www.youtube.com

貿易会社の設立

人柄の良さではトップクラスの志願者。
三人の虎が志願者を奪い合う空前絶後の展開が巻き起こった。
パスタ
この志願者は数店舗出せるほど成功した(現在は全店なくなってしまったようだが)。加藤社長に人を見る目があったことが証明された回。
フランスロール
クレープに似た洋菓子の移動販売のための資金を希望する志願者の回。デザートの味から移動販売用の車のセンスまで、すべてが高い評価を受けた。南原社長が「フランスロールは美味しくなかった」といった後に希望金額800万円のうちの半分を出資したのは演出過剰ではないかと思った。
実は志願者は番組出演時点で開店資金に困っておらず、宣伝のために出演したことが後に判明した(令和の虎より)。
マネーのトランス
風貌に反してものすごく礼儀正しい若き志願者の回。

www.youtube.com

カオソイラーメン
タイの麺料理の回。
ラーメン
志願者は当時無職で開店のためのリサーチもロクにしていなかった。当然叩かれる。堀之内社長に至っては呆れて途中退席してしまった。しかし妙に口がまわる志願者のため安心してみていられる。
美と健康の店
番組史上もっともプレゼンが上手い志願者だと思う。
チヨペット
この志願者もプレゼンが上手い。

www.youtube.com

キムチ
品の良い志願者の回
 
古坂大魔王がアカペラを披露し虎たちに絶賛された。
漫画編集
明快なスキームを持った志願者の回。高橋社長が良いことを言う。

www.youtube.com

結論 マネーの虎はおもしろい。

 
 

どちかというと大反対 眞子様と小室圭さんの結婚一時金

皇族の結婚一時金は皇室経済法によれば「皇族であった者としての品位保持の資に充てるため」支出されるそうです。
 
そもそも「品位」とはなにかがあまりに曖昧です。辞書で引くと「見る人が自然に尊敬したくなるような気高さ」だそうです。つまり品位というものは見る人ーここではつまり国民ーの存在によって決定されるようです。しかし小室さんの黒い噂のせいで、国民の多くが眞子様と小室圭さんを尊敬できるような状況にないことは明らかです。人を尊敬できるかどうか、という基準もまた曖昧なものですが、結婚一時金が国民の税金から捻出されるものである以上、国民が納得できるかどうかという点は無視されるべきではないと思います。現状はもはや「品位保持」どころではない。このことからも結婚一時金が支出されることの正当性が揺らいでいます。
 
皇族には自由がない、ということがよく言われます。しかしそもそも自由な人間など存在するのでしょうか。両親の経済状況や遺伝的資質は選択可能なものではありませんが、多くの研究でこれらの要素が人生の成功の可否に統計上優位に影響を与えるということが明らかになってきています。だからこそこのような偶然を自分で選び取ったかのように生きることが重要だということは何度かこのブログでも書いてきました。
 
久しぶりにネットに姿を現したカツドンチャンネルについて https://matutakedaiou.hatenablog.com/entry/2020/10/25/233609
カツドンチャンネルと自由
 
そもそも眞子さまは税金で大学院まで行けたわけだし、皇族であることの恩恵は充分享受したはず。皇族は不自由だから特別扱いする、というような風潮はむしろ不自由を強化しているように思います。
 
眞子さまは全く自由ではないかというとそんなことはありません。一般人になる権利があるからです。なのでこれは個人的な意見ですが、眞子さまパンピーになってyoutuberになればinじゃねーの?と思います。登録者数10万人は軽く超えるでしょう。で、寝転がってゲームしてれば、平均的サラリーマンを超える収入を手に入れることができます。
 
僕もゲームするだけでお金を稼げるようになりたい。

はるしにゃんとカオスフォレスト古田氏 批評の反復不可能性について

はるしにゃんという人物
 
僕は古田さんをyoutubeで知ったとき、実は最初にはるしにゃんという自死者のことを思い浮かべていました。批評について詳しく、ネットでなにか目立つことをやっている点で共通しているというのもあるのですが、それでいながら古田さんという人間がはるしにゃんとは真逆の在り方をしていたからです。
 
はるしにゃんという人物について説明すると、彼は批評・哲学系のライターで同人誌も出したりしていた人物です。単純に哲学・批評に明るくてよい文章を書いていたということもありますが、複数のメンヘラ女性との浮き名を流したりといったスキャンダラスな側面でも有名でした。ちなみに現在もにこにこ動画で視聴できる彼の「組曲「あづまん動画」」は傑作です。彼は2015年にマンションから飛び降り自殺して少し批評界隈をざわつかせたのですが、それ以後は、ほぼ忘れ去られてしまった存在です。
 
そんなはるしにゃんについて古田さんが最近の動画で言及していていました。彼はしばしば思想にはまりすぎるのは危険だということを言っていたのですが、はるしにゃんを念頭においていたのでしょう。
 
はるしにゃんの自殺についてですが、彼が「思想に殺された」というような言い方には慎重になった方がいいでしょう。批評にはまったから自殺したというより、自殺願望を抱くような人間だから思想にはまったとも言えるからです。それに彼はうつ病を抱えており、また2chのアンチの存在を気にも病んでいたようで、それがうつを悪化させたともいえます。しかし彼が批評や哲学にあまりに囚われすぎてしまったという点も否めません。
 
現在ネット上で読めるはるしにゃんの文章は「はるしにゃんの幾原邦彦論」くらいですが、それを読むとあまりに整合性がとれすぎているというか、彼はラカンドゥルーズで世の中のすべてを説明できると思っていたのではないかという気すらしてきます。例えばラカンの研究書には「ラカンラカン」というものがあります。 ラカンは時期によって理論の変遷が大きいので、ラカンを批判するラカンという観点がでてきます。このことからも思想でなんでもかんでも説明しようとするのは無理があることがわかると思います。
 
またユング派の箱庭療法ではクライアントが左右対称の箱庭を作った場合は危険とみなされるようです。人間の心というものはそんなに簡単に割り切れるものではないからです。彼が自殺してしまった、という結果からの後付けかもしれませんが、僕は彼の評論から左右対称の箱庭的な危うさを感じます。
 
吉本隆明大塚英志との対談でこんなことを言っています。
 
「たとえばミシェル・フーコーに象徴させると、僕がいつも感ずる感じ方っていうのは、取り上げる問題とか主題に対して、精密すぎると言うことなんです。つまり、良い頭してるのにこういう主題に使わなくてもいいじゃないかっていつも思わせるほど、精密すぎる感じがするんです。フランスの優秀な知識人たちはみんなこの傾向を持っていますね。それはよくよく考えると、0.1まで思索してすり抜けたものは、四捨五入すれば、それは一番正確なんだって言うのに、どうして0.001までやるんだっていうのが、疑問でしょうがないんですよ。そこまで表現すれば、より精密になるかっていったら、そうとは言えないので、0.1以下は四捨五入したほうが正確な値なんだっていうことはあり得るわけです。数学上そういうことはありうるわけで、やればやるほど正確だということは絶対ないわけです。」(だいたいでいいじゃない。より)
 
はるしにゃんにはこのような視点が必要だったように思います。彼は浅田彰を高く評価していました。しかし結局、彼は自殺してしまったわけで、結果的に彼は浅田彰を、またはニューアカ的なものを読み違えたといわなければならないでしょう。古田さんが言うように「構造と力」の、哲学や思想からの膨大な引用からなる豪華絢爛な文章は一種のレトリックだといえます。そのことは「逃走論」を読めば明らかです。浅田彰は「逃げろや逃げろ、どこまでも」と記しています。
 
 
はるしにゃんの陰影画としてのカオスフォレスト古田さん
 
 
古田さんについては以前書きました。
 
彼は、「答え」を差し出してくれるような言説には一貫して批判的です。はるしにゃんのような人が「答え」を求めすぎて絶望してしまうことを知っているからでしょう。それゆえ彼のyoutuberとしてのスタイルは、数多くの批評家や、youtuberを採点し相対化するというものになっています。なんでもありなんだからちゃらんぽらんにやっていこう、ということです。これは、なんでもありならなにもかも意味は無い、といったニヒリズムとは違います。主観や客観は立場によって交換可能なものでしかないからそれを意識すべきという話です。この点についてはカオスフォレストの出版した「カオスフォレスト【想】」がプラグマティズムの観点から説明しています。(Amazonで99円で購入可能です)
 
彼は自分がリア充であることを自認しています。思想にハマって自殺などするのはバカげていると言うでしょう。このように彼のあまりにもはるしにゃんとは間逆な在り方が僕にはるしにゃんを想起させた所以です。彼は新人類的なものの隔世遺伝といっていいような批評家だと思います。
ちなみにはるしにゃんが亡くなったとき、彼の死についてロマン主義的に書く人が散見されましたが、個人的には、生きている人間がそのようなことを書くのは一つの倒錯ではないかと思います。
 
このことと関連して古田さんという批評家を理解するにおいて彼が推薦する本の傾向が一つの手がかりになると思います。
東浩紀宮台真司の本で世間で評価されているものと言えば「存在論的郵便的」「ゲンロン0」「制服少女たちの選択」「終わりなき日常を生きろ」などですが、一方古田さんは東浩紀の本なら「郵便的不安たち」、宮台真司の本なら「宮台真司 interviews」を推薦しています。このことを掘り下げるために人文知の反復不可能性について書いていきます。
 
 
人文知の反復不可能性
 
東浩紀ひろゆきとのトークショーひろゆきが「思想書を読むことに意味はあるのか?」という質問をしていました。https://www.youtube.com/watch?v=QFJISAxF-2o
自然科学の本は事実が書いてあるが、思想書は主観でしかないのでは、ということです。
それにたいしての東さんの回答は「反復可能なものと反復不可能なものでは知の構造が違う」というものでした。これがものすごく大雑把には文系と理系の違いということです。
 
例えば手に持った物を手放すと落下します。これは何回繰り返してもそうなります。(そのような因果性が存在する証拠はない、と主張するヒュームのような哲学者もいますが、それは置いておいて)
 
一方で、例えば歴史というものはやり直したときに同じ結果が起こるとは限りません。ヒトラー美大に合格していたら彼は独裁者にならなかったかもしれません。またハイデガーの「存在と時間」は大戦でいつ自分が死ぬともしれない、という世相からの影響を受けているということがよく指摘されます。戦争がなければハイデガーは「存在と時間」書かなかったかもしれません。
 
このように思想というものは反復不可能なものです。そして「郵便的不安たち」「宮台真司 interviews」といった本は個人史としての色合いが強い本です。古田さんがこれらの本を推すのは、反復不可能なものの極限としてこれらの本を見出しているからだと私は解釈します。東さんや宮台さんの個人史は彼らの理論的な本と比べてもひときわ偶然的なものです。ゆえに思想家の個人史はその思想家の理論も偶然的なものだ、ということを感得する助けになる、ということだと思います。

雑記 2020/11/1〜2020/11/6 サファイアブルーの宝石のような瞳 AV女優 ピクピクン 広告 採点

2020/11/1
白色ドラゴンの瞳は吸いこまれそうな透き通る大きなサファイアブルーだった。まるで大きなサファイアブルーの宝石のような瞳だ。
 
↑はsyamuさんの「ゾッ帝」の文章です。スピリチュアルシーン集で見つけました。 「サファイアブルーの宝石のような」ってそれ完全にサファイアじゃ...と突っ込むのもむなしくなる名文中の名文です。「大型肉食竜型ハンター」のくだりばかりが有名ですが、探してみればまだ面白い文章が見つかるかもしれません。
 
2020/11/2
 
AV女優は過去をなかったことにしないべき。
 
AV女優は自分がAVに出演したことは自分の意思でそうしたと思っているかもしれないがそれは違う。自分の意思でそうしたと思うのは原因があまりに複雑すぎるためそれを認識できないからにすぎない。この意味で人間は因果律に規定された不自由な存在である。
 
しかし人間に自由が存在しないということを徹底的に認識する、という手段は残されており、そうすることで他人を許すことができるようになり自分を肯定できるようになる。
 
AVに出たことを後悔し、なかったことにするということは、自分の人生が因果律に流されるものでしかないということを認め、運命に屈服するということである。
 
AVに出演したことを自分で選択した「かのように」生きる。自由が存するとしたらこのような態度変更によってのみである。
 
だから過去作品を抹消するのはやめるべき
 
 
2020/11/3
失われた時を求めてを読んでいるが文庫本換算であと5巻残っている 長いなぁ…
 
どうでもいい知識 エロ漫画家ピクピクンは一日10回以上オナニーする
 
2020/11/4
youtubeの広告でたまに評価できるやつがあるけど、俺はいつも高評価押してる。youtubeの広告なんて大嫌いだし洗脳してこようとすんじゃねぇヴォケと思うのだけどだからこそ高評価押して撹乱するってわけ。頑張ってビッグデータつくろうとしてるみたいだけど、それ、無駄ですから笑
 
 
 
↑私はいつもこんなことを考ています。いうまでもなく、大多数の人間は正直に高評価したり低評価したりするだろうから私一人がこんなことをしたところで意味ないからアホですね。
 
2020/11/6
 
数学者ハーディ「自分は25点、リトルウッドは30点、ヒルベルトは80点、ラマヌジャンは100点」
 
???「処女は100点 非処女は80点」

カオスフォレストというyoutubeチャンネル

はい。今回ですね、えーと、カオスフォレストの点数をつけたいと思います。カオスフォレストの点数は100点中80点ですね。これ、なんで、まー、80点かというと(ry
 
 
 
 
 
カオスフォレストとは三人のメンバーから成る経済、芸術、思想の情報発信をする集団です。(2020/11/07現在 登録者数112人)。
youtube上では主に古田更一さんという人が思想やyoutuberについて語っているのですが、「ニッポンの思想」を俯瞰しようとしたときにかなり参考になるチャンネルだと思います。(彼はそんなもん俯瞰しなくてもいい、というでしょうが)
 
古田さんに一貫しているのは「すべてを疑え」という思考です(彼はこのような教条的な言い方はしませんが)。ゆえに「ベタ」なことばかり言う東浩紀宮台真司大塚英志あたりには辛口で、「ネタ」として「ベタ」なものと戯れる浅田彰田中康夫中森明夫といった「新人類」の書き手を評価しています。
 
彼の動画では、東浩紀宮台真司オウム真理教、ビジネス系youtuber、オンラインサロン主もすべて、「答え」を求める「信者」を利用しているという点で、相対化されます。
 
天才の俺が哲学を援用して古田様の知性を理解するための基礎的な教養を提供する
 
カントによれば理性は推論を続け真理に至ろうとする性質を持ち、その結果として解決不能アンチノミー(ざっくり言うと矛盾のこと)に陥ります。要するにカントは、「世の人々は理性を使って究極の「真理」に到れると思ってるかもしれないけど理性にも限界があるから少なくともその自覚は持ったほうが良い」、というような事を言いました。例として第3アンチノミーと呼ばれる「自由はあるか、ないか」という問題について書いていきます。
 
①自由があることのざっくりした証明
 
ある事柄の生起には自然法則に従う原因があるとすると、その原因にも原因があることになり、このプロセスは反復され続けることになる。しかしそれだと根本原因に至ることができないため不合理である(なぜなら「自然法則」という言葉の中には根本原因がなければ何も生起しないという前提が含まれるから)。ゆえに「自由」という「自然法則」とは別の原因が想定される
 
②自由が存在しないことのざっくりした証明
 
自由という原因があると仮定すると自由を存在させるための絶対的な原因が必要となります。しかしそうすると絶対的な原因は無からうまれたことになりますが、それは不合理なので自由は存在しないという結論が導き出される。
 
 
 
絶対的な答えを探ろうとする試みには限界があるということはカントが200年以上も前に指摘したことです。ニーチェも原因というものは結果から遡って見いだされるに過ぎない、というようなことを言いました(これを遠近法的倒錯といったりします)。それなのにさも「答え」があるように見せかけ信者ビジネスをやってる人間を批判するという点で古田さんは一貫しています。
 
ちなみにオウム真理教の一連の事件は、典型的な「答え」を求めようとする人々の暴走だと言えます。オウムの信者について、高学歴「なのに」なぜあんなことを・・・ということがよく言われますが、高学歴「だから」という方が正しいのです。彼らはいい大学をでれば良い人生があると考えていたにも関わらず、しかし実際は学歴が良い人生を保障せず人生に「意味」与えてくれないという事態に直面した人たちのはずです。
教祖の麻原が唯物論的に信者をマインドコントロールするテクニック(握手する時に電流ながすとか、薬物とか)を持っていたのもあるかもしれませんが、信者に生きる意味、つまり「世界最高宗教の革命戦士」としての役割を信者に与え得たことが彼のカリスマを作り出したといえます。信者は人生の無意味を直視するより、うそで塗り固められたものだとしても、「意味」にすがらざるを得ない人たちでした。
 
−20点の理由
 
古田さんは東浩紀宮台真司大塚英志のような批評家の「ジメジメ」している点がオワコンだと言っていて「ジメジメ」というのは実存的だと言い換えても良いと思います。要するに哲学や思想というより「答え」を求める人達向けの「心理セラピー」になっているのではないかということを言っています。
これに反論すると、過剰になにかに意味を求めることを否定する場合、そのなにかが役に立つかどうかが問題になると思うのですが、だとしたら別に東さんらの批評が心理セラピーだとしてもそれで救われる人がいるならそれで構わないのではないか。たぶん実存的な不安を抱える人間はどんな時代にも一定数存在するだろう、ということです。
 
古田さんはおそらくこのような反論は織り込み済みで、反応を得るために宮台的なものはオワコンだと言っているのでしょう。しかし彼は動画内でyoutube活動は浅田彰的な「シラケつつノリ、ノリつつシラケる」ための「ネタ」としてやっていると種明かしをしてしまっており、どんな反論がきても「所詮ネタ」で受け流すための言い訳を作っているように思えます。「ネタ」なら「ネタ」であることを貫くべき。そのあたりの戦略がぶれているので、−20点です。
 
 
最後に
すいません。点数つけたり、天才の俺云々は「ネタ」です。
 
カオスフォレストは個人的には今一番熱いチャンネルだと思っています。あらゆる思想家やyoutuberを相対化する切れ味の鋭さはyoutuberの中では稀有のものであり、ネタがネタとして受け取られない時代にあっては古田さんの戦略には困難が伴うと思いますが、今後の活躍には大きな期待ができます。
 
くだらないビジネス系youtuberを見るより100倍勉強になるので登録すべき。

中学時代 掃除時間 図書室 女子に

屁のにおいを嗅がせたことがある。
 
 
 
 
トリビアの種で「おならを最も自分から切り離す方法」という検証があって、大学教授集めて流体力学とか使って実験したところ、尻をはたきながら横向きに移動すれば自分からおならを切り離すことができるという結果だった。
 
図書室の掃除中におならをしたくなった僕はこの「種」を試してみることにしたのだった。僕からおならを切り離すことはできたのだが、当然おならの臭い自体は消すことはできなかったので、同じ班の女子(まあまあかわいい)が顔をしかめて「変なにおいがする」と言っていた。しかし彼女はおならのにおいだとは言わなかった。友人間では僕がしょっちゅう屁をこく人間だということは有名だったので、男子は僕が屁をこいたことを疑っていたのだが、僕は人前で屁をこく人間だと女子から思われたくなかったので濡れ衣だといってしらばっくれた。しかしあのときの異臭は僕によるものだったことを、今、ここに、独白する。
 
この出来事から一つの教訓を得られると思う。おならをしたことを指摘されたときに相手を論破する方法である。
 
「なんでこれが屁の臭いだとわかるんだ?」こう言えば完全論破できる。う○こを漏らしたときにも応用可能だ。みなさんもぜひ試してほしい。

朝井リョウさんの小説

本屋にいったら朝井リョウさんの新刊が目に付いた。題名は「スター」。紹介文にはこうある。
 
「国民的スターって、今、いないよな。 ……いや、もう、いらないのかも。 誰もが発信者となった今、プロとアマチュアの境界線は消えた。」
 
この作家の書くものは本当にわかりやすい。朝井さんという小説家の特徴は、誰もがわかっているようなことを書ける屈託の無さにあると思う。
 
「桐島」では「カースト上位」の人間が「カースト」から離れたあとの「カースト」内でのポジションの探り合いが書かれ、「何者」ではは就活生たちのポジショニング合戦が書かれる。「感情化する社会」で大塚英志は、これらの小説が淡々と「スクールカースト」や就活生の「マウンティング合戦」を「俯瞰」しはするが、それを疑ったり解体したりしないという点での「社会学」性を指摘しました。
 
実際のところ社会学は、社会において自明とされているものの自明性を相対化する学問であり、社会学と朝井の小説の「社会学」性は異なるものです。
 
朝井さんの小説では、なにかを俯瞰し、さらにそれを俯瞰し…という系列の最上位に「朝井リョウ」という「神の視点」を有する「作者」が存在する、という自己肯定の構造があり、そのことを朝井は微塵も疑いません。「感情化する社会」で大塚が朝井さんについて書いた文章で、社会学という文字に「」がついているのはそのことに対する皮肉といっていいです。
 
要するに「スクールカースト」のような「制度」は彼にとっては所与のものとしてあり、その外側にでるという発想ができないため、それを疑うという機縁がなく、制度の内側で「全体を俯瞰できる自分」の肯定に終始するのみ、ということです。
 
朝井さんは「何者」について、「書きたかった物語は、誰にも知られたくない感情でした」ということを書いていて、このことから、彼にとっての「物語」は「内面」すなわち「誰にも知られたくない感情」を告白することだという単純な考えから成り立っていることがわかります。しかし「何者」が書かれる30年以上も前に柄谷行人は次のように書いています
 
告白という形式、あるいは告白という制度が、告白さるべき内面、あるいは「真の自己」なるものを産出するのだ。問題は何をいかにして告白するかではなく、この告白という制度そのものにある。隠すべきことがあって告白するのではない。告白するという義務が、隠すべきことを、あるいは「内面」を作り出すのである。(柄谷行人日本近代文学の起源」)
 
「誰にも知られたくない感情」を告白すれば小説になる、という考えはあまりにもナイーブだといわなければならないでしょう。そしてこのような朝井さんのナイーブさと、「すべてを俯瞰できる存在としての自分」に疑いを持たずにいられる自己肯定の強さ、屈託の無さは地続きのものといえます。
 
「スター」においても、「誰もが発信者となった今、プロとアマチュアの境界線は消え」てしまった現代を俯瞰できる存在、としての作家自身を疑ったりはしないのではないかと思います。
 
 

雑記 2020/10/26〜2020/10/31 ムカつくこと 屁をこくやつ アンチ オコジョの夢

2020/10/26
久しぶりに腹の立つことがあった。
しかしこのことを書くと僕のほうがあたまがおかしいと言われるだけなので書かないことにする。
 
2020/10/27
公共交通機関で屁をこく奴はまじで親のダイヤの結婚指輪のネックレスでぶん殴りたい。
 
2020/10/28
syamuのアンチは罵倒するだけだが、カツドンチャンネルのアンチは巧妙なやつが多い。
「何気に顔整ってるな」というコメに代表されるような、称賛や同意を装った皮肉が多くみられる。
 
2020/10/31
逃げ出したオコジョを捜索する夢を見た。捜索は猫を使って行われた。オコジョを捕まえて箱に閉じ込めようとしてなんども逃げられてしまった。

東大生をいじるテレビ番組

「東大生を見世物にしてあざ笑う」大手テレビ局の軽率…コミュ障、変人、アスペいじりはもう要らない

↑こんな記事がありました。
内容は東大を卒業して地方公務員になって「逆学歴差別」を受けた男性の話と、「さんまの東大方程式」での「アスペルガー症候群」の傾向のある東大生に対するいじりはけしからん、という主張です。
 
まず思ったのはこの記事を書いた人も地方公務員の男性も人の言うことを気にしすぎだということです。そもそも学歴で勝った負けたを気にして「逆差別」をするような人間は端的にばかです。他律的に尊厳を確保しようとすると必然的に袋小路に陥るという単純なことすら理解できないからです。早稲田より東大、東大よりハーバード…というように、より「上」の学歴を決定しようとするような試みには終わりがありません。ハーバードより東大の学生の方が優秀ということはあり得るし、その逆もまたしかりだからです。ばかな人間の言うことを真剣に受け止めるのは不毛でしかない、ということを理解するべきです。
 
アスペルガー」いじりはけしからん、という主張についてですが、この主張には「アスペルガー」的なものは「わるい」ものであるという前提が含まれています。しかしこれが「わるい」ものだという客観的な根拠はありません。「アスペルガー」の傾向をもつ東大生たちが、主観的にこのようないじりが不快だと表明するならやめるべきですが、先に述べたように「アスペルガー」的なものが「わるい」ものだという根拠はありませんし、むしろ記憶力と集中力に優れる「アスペルガー」的であるがゆえに東大入試を突破し、学歴社会においてアドバンテージを獲得できたという面もあるはずです。
 
個人的には、「アスペルガー」いじりは「わるい」ことだと主張することで「アスペルガー」的なものにたいする偏見を助長するという構造がある気がします。「アスペルガー」であることは当人らの責任ではありません。しかし「アスペルガー」的であることを「わるい」ものだと決めつけ、だから自分は笑いものになる、という考え方は自分の自由を認めないことと同じです。だからこそ、それを自ら選び取ったかのように生きることが重要です。
 
それともう一つ。記事ではこのような番組を放映する大手テレビ局は軽率だという事を書いていますが、民放は視聴率のとれないような番組を作らないので、むしろ視聴者こそがこのような番組を存在させているというべきです。テレビ局は視聴者の欲望を可視化させているに過ぎません。
 
そして視聴者を啓蒙するのは不可能でしょう。人間は意図せずにそうするのであり、そのような何も考えずに流される人たちの総体が「視聴者」です。このような偶然的で実体のないものをどうこうすることはできません。だから先程言ったように、何事も自分で選んだように振る舞うしかなく、それだけが偶然的なものに支配されないための手段です。
 
 
 
長々と書いたけど言いたいことはただ一つ、みんな人のこと気にしすぎ!

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初出掲載:2020年10月16日

久しぶりにネットに姿を現したカツドンチャンネルについて

 カツドンチャンネルが先月くらいに久しぶりにネットに姿をあらわし、文章と動画を発表しました。飲食店の店長として頑張っているのは素晴らしいのですが、本質的には引退前と変わっていないという印象を受けました。彼はイケハヤ大学やまこなり社長の動画を見て学びを得ていると言っていました。これらのビジネス系youtuberも原因論的、決定論的見地に立っているという点で、インナーチャイルド理論、アダルトチルドレン機能不全家族といったカツドンチャンネルのキーワード群と変わりありません。これらはカツドンさんを慰撫するものとしてのみ機能しています。カツドンさんは理論を絶対的なものと盲信する傾向があり、こういうひとは理論通りにいかなかったときにヤケなる危険があり心配になります。
 
 だからカツドンさんはスピノザの考えを学ぶべきだと思うのです。スピノザの哲学の入門として上野修スピノザの世界」がおすすめです。これを読んでから「エチカ」に進めばよいでしょう。自由や責任について考える手がかり得るためにも柄谷行人の「倫理21」という本もおすすめしたいです。これらの本はカツドンさんを慰めるというよりは、カツドンさんが拠り所としていたような思考を解体してしまうものでしょう。しかし自由であるための条件は認識への意思だけであり、それ理解するためにもこれらは有用な本だといえます。

ひぐらしのなく頃に について

 ひぐらしのEDの「why,or why not」のEDを久しぶりに見たけどクレジットの声優が豪華すぎる。原作のヒットを前提としてアニメ化したわけだからガチでキャスティングしたんだろうな。youtubeのコメ欄にも書いてあったけど、このED曲が終わってから次回予告に入るときの曲の流れは素晴らしい。
 
 ひぐらしのアニメは本当に質が高いと思う。途中までしか見てないけど。
 
 原作は全編やったけど本当に文章がひどい。俺が知る限りで竜騎士07は文章を仕事にする人の中で一番文章が下手だと思う。もっと下手なやつがいたら教えてほしい。山田悠介はいい勝負するかもしれないけど。例の「三拍子そろってやがる」のコピペの他にも山程ひどい文章がある。アニメから原作の文章のひどさは想像できなかった。あとよくいわれるけど原作は手がクリームパン。まあ竜騎士は「十角館の殺人」も知らなかったらしいし既存の枠組みから外れて話作れるという点では天才なんだろうけど。東浩紀ポストモダン以降の文学の生成環境を象徴する作品のひとつとして「ひぐらし」の分析に一章割いてるわけだし。
 
 ちなみに「why,or why not」歌ってるひとが片桐烈火だと初めて知った。放映されたの2007年だから13年越しに知ったことになる。と、書いていて、ひぐらしの放送から13年経ったことに愕然とした。時の進み方おかしいよ。

カツドンチャンネルと自由

2020/10/25
カツドンの動画を見ていたら、祖母からしょっちゅうお金をもらっていたカツドンは、そのように甘やかされたせいで社会に出た時に苦労した、したがって子供を甘やかしすぎるのはよくないことであり厳しく育てることが必要だ、ということを話していた。
 
しかし子育てに関して、子供を甘やかしすぎるのはよくない、あるいは厳しすぎるのはよくないということが言われるが、正しく子育てを行えば正しく子が育つという原因論的な見地に立っているという点で両方とも同じ罠に陥っている。甘やかして育てた子供が勤勉に育ち、厳しく育てた子供が非行にはしる、というような例はいくらでも見いだすことができるからだ。
 
カツドンは人生がうまくいかないことの原因は自分の外にあると何度も主張しているが、その考え方によって彼自身の自由を否定し、生きていくことを無意味なものにしている、という点に気づいていない。なぜそうなるか以下で説明していきます。
 
スピノザという哲学者は人間の自由意志を否定しました。自発的に行動しているつもりでもその行動自体が様々な原因に規定されておりその原因があまりに複雑に絡まり合っているため認識できないに過ぎないと考え、そのことをして人間は放られた小石のようなものだと言いました。しかしこの考えでは犯罪を犯した人間も当人にはわからぬ原因によって罪を犯したということになり責任を問うことができなくなります。カツドンがやっているのはこれと同じです。彼自分の不遇が、親や複雑な環境的要因に由来するというのですから。これは自分には自由がないと言っているのと同じことです。そして人間がすべて因果律に規定された不自由な存在だとしたら人生において成功しようが失敗しようがどちらでもよいことになります。生きている意味がなくなります。無論スピノザは自由意志の否定を、人間の生が無意味だというために主張したのではありません。「善人」が「善人」であり「悪人」が「悪人」であるのは因果によってでしかなく、だからこそ、実際に何をしているかが重要だと言ったのです。
 
しかしこの考えでは結局主体というものはなく「責任」というものがなくなります。そこでカントは「自由たれ」という道徳律を仮定することによってこの問題を解決しました。つまり人間は様々な原因に規定されていますがそれを自ら選び取った「かのように」生きろと言ったのです。カツドンチャンネルにはこういった視点が欠けていました。

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