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まつたけ大王のブログ

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トルストイの格言


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幸福な家庭はみな一様に似通っているが不幸な家庭はいずれもとりどりに不幸である。

 

以上はトルストイのよく知られた格言だが、『家ついていってもいいですか?』という番組を見ているとトルストイの洞察の鋭さにつくずく感心する。
 
幸福な家庭をテレビで見ても、よかったね、としか感想の持ちようがないのである。
 
アレクサンドル・コジェーブは「歴史とは闘争の歴史である」というヘーゲルのテーゼを敷衍し歴史の終わった後の人間について考察した。その際コジェーブの念頭にあったのはアメリカ的生活様式である。つまり「鳥が巣を作りクモが網を貼るようにして建築や芸術作品をつくり、カエルやセミのようにコンサートを開き、幼い獣が遊ぶように遊び、成獣が交尾するように愛を営む」というような言い方に含意されるような物質的に充足した生活様式である。これを三島由紀夫ならミナミゾウアザラシのような、と形容しただろう。
ここでいう「幸福」は「自然」と言い換えてもいい。「鳥が巣を作りクモが網を貼るようにして建築や芸術作品をつく」るようなものなのだから似たり寄ったりになるのは当然である。
 
こうした「幸福」な人々の対極の存在が納豆仙人である。納豆仙人が不幸な人間かどうかについては留保が必要だが少なくともミナミゾウアザラシになれない種類の人物であることはたしかである。
 
なんせ納豆の容器の散乱した家に住み、みかんの皮が腐ったものを臭い消しに使い、電話帳の紙をトイレットペーパーの代わりに使うような人間は適度に清潔で快適な暮らし必要とするミナミゾウアザラシにはなれまいから。。

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あとかなり昔の話だが「将来自分に家庭ができたときのこと」を思い浮かべて他人の生んだ、どこの馬の骨とも知れない赤ん坊の写真の切り抜きを壁に貼ってる60歳くらいの独身男性の回があった(確かスタジオ絶句)
たまにこういう想像を絶する人が出てきて世の中の広さを思い知らされる。
 
しかし、いうまでもなく、こういう人間の方が常識を超越しているという意味でおもしろいことは間違いないのだから(納豆仙人の回では呼吸困難になるほど笑わせてもらった)もっと浮浪者みたいなこきたない人に絞って取材してほしいと思う次第である。

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