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まつたけ大王のブログ

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エロ動画のカメラワーク


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「素人」と「プロ」の境界はカメラワークのうちに存する。

 

pornhubにハメ撮り動画を上げてる連中が本物の素人カップルだとしても、カメラワークに拘りだした時点で「プロ」的といって差し支えない。
 
ここでいう「プロ」的とは何台もカメラを設置したり、画質をよくする努力をするなどして映像の洗練を追求することの謂である。
 
映像をソフィスティケートさせる動機は言うまでもなく、その映像の視聴を快適にするためなのだが、その努力をすればするほど映像は客体化され、余所余所しさの度合いが強まり、紛い物じみてくる。天井にカメラを取り付けて真上からのアングルで撮影するというのはその最たる例である。
 
翻って、winny流出に代表される本物の「素人」のハメ撮りは視線が安定することなく洗練とは無縁だが、それによってその瞬間行われている行為を、臨場感をもって伝えることに成功している。
 
なぜ映像を洗練させるかさせないかということが問題になるかというと、「映像を洗練させる=映像を多くのひとにみてもらえるように努力する」ということは全くエロくないということが言いたいからだ。
 
要するに、「エロい」ということは「エロくない」ということがあって初めて成り立つのであり、例えばアフリカとかで女が乳丸出しで村を闊歩している映像を見ても全くエロさを感じないのと同様に「プロ」のエロ動画はエロくないということが言いたい。松本人志が素人こそプロだと言ったのはこのような文脈からだといっていいだろう。
 
マルクスフロイトは「AがBなのでなくBがAなのだ」という修辞を好んで用いたが、この修辞をエロ動画に適用すると、ーー「プロ」と「素人」の違いがカメラワークを決めるのではなく、カメラワークの違いが「プロ」と「素人」の違いを生み出すーーという命題を定立することができる。
 
エロ動画を作成する人たちは以上の意見を参考にしてみてほしい。

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