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大ヒットから1年ほど経ちいまさら鬼滅の刃を読んでみた感想


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特筆する点が特にない。大ヒットした漫画だからさぞや面白いのだろうと思って読んだのだが、そんなことはなかった。

 

良い点
主人公が仲間思いで努力家の好青年なのが良い点。今の世の中はクズな人間が多いのでこのような純粋な人物をみるとこころが和むというのはあるかもしれない。
 
良くない点
 
・モノローグの多さ、方法意識の希薄さ
バトルシーンで、この技はこのような理由ですごい、といった感じの注釈がしょっちゅう入るのだが、その説明をしているお前は誰なんだとつっこみたくなる。モブキャラに説明させるほうがまだ違和感が少ない(このやり方もあまりに多用するとそれはそれで間抜けだが)
 
・ギャグがさむい
好みの問題でしかないのだが、例えば善逸のセリフなどはくどすぎる。いわゆる銀魂◯◯だよね!?これ◯◯だよね!?みたいなのり)受け付けない。
 
・文章力のなさ
これは断言するが、作者は活字をあまり読まない人間に違いない。言語感覚が乏しすぎるのである。
いうまでもないことだが漫画というものは基本的に絵とことばから成り立っている。したがって文章がダメならその漫画の半分はダメなのである。
作者の文章に対するこだわりのなさは「すべからく」を誤用している点に端的に現れている。一応説明しておくと「すべからく」は「〜すべき」という文章の「すべき」の部分を強調する副詞なのだが、鬼滅の作者は「すべて」という意味で使っている(しかも2回)。こんな重箱の隅をつつくようなことをいって馬鹿じゃねーのかとお思いになるかもしれないが、本当に文章にこだわろうと思ったら須らくを誤用するなどあり得ないことだと個人的には思う。いちいち名前は挙げないが作家にもすべからくを誤用するやつは多い。
須らくを誤用したから全部ダメだということではもちろんない。しかしこの漫画にはこの文章もっとどうにかなっただろう。。。という部分が、いちいち引用しないが、山ほどある。
 
・ストーリーの単調さ
敵を倒すと更に強い敵が現れる。それをたおすと…というのを延々と繰り返しているだけのストーリーとしか思えない。それをいうなら他のジャンプマンガも総じてそうなのだが、鬼滅の刃は爆発的にヒットした作品だからもうすこしひねりがあるのかと思った。80年代にドラゴンボールが連載開始してから四半世紀経つのに少年ジャンプという雑誌はどれだけ進歩がないのかといいたくなる。とくに無限城に突入してからの単調さは目に余る。
 
どうでもいいこと
巻末に鬼滅学園というのがあるが、進撃の巨人の作者も同じようなものをやっていた。要するにこれは同人誌市場で行われていることを作者自らがやっているのである。これはキャラクターというものの本質に関わる問題でもある。詳しくは東浩紀の「動物化するポストモダン」や「セカイからもっと近くに」という本を参照してほしい。少し説明すると18世紀末から20世紀半ばまで社会全体のまとまりを作るための物語、いわゆる大きな物語が機能していた(具体的にはマルクス主義や高度経済成長など)。しかし社会が複雑化したりいろいろな理由で大きな物語は機能不全を起こすことになる。ガンダムのような作品は大きな物語の喪失を贖うかのように作品内部に架空の年代記をつくった。またオウム真理教は自らが作り上げた架空の歴史の中に自らを位置づけようとした。しかしこのような大きな物語を虚構のなかで復活させようという欲望も忘れ去られ、オタクたちはキャラクターの断片をオタクのデータベースから消費することに自足するようになった。キャラクターというものはオタク文化全体のデータベースからの順列組み合わせで成り立っており物語から離れて自立している。ゆえにたとえば「新世紀エヴァンゲリオン」で陰鬱なTVシリーズ恋愛シミュレーションである「綾波育成計画」を同時に消費するということが矛盾なく両立できてしまう。
 まとめるとフィクション作品の消費の仕方が物語消費からデータベース消費に移り変わったことによる必然の結果として、同人誌市場が発達したり漫画作者が自分の漫画のスピンオフを自作するという事態が生じたということだ。この流れの果に鬼滅学園などがあるのだろう。興味深いといえば興味深いがどうでもいいといえばどうでもいいことである。
 
まとめ
爆発的なヒットの割にそこまでおもしろくないという印象は拭えない。同じく爆発的にヒットした進撃の巨人は真っ当におもしろかったので過度に期待してしまった部分もあるだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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