放送禁止という番組が昔あって、それがyoutubeにアップロードされていたので数年ぶりに視聴したのですが、あまりのしょーもなさに笑ってしまいました。
モキュメンタリーとはモックドキュメンタリーのことで、エセドキュメンタリーという意味です。
大家族の取材とかdv家庭の取材といったそれっぽい題材を取り上げたドキュメンタリーとしての側面と、番組内に散りばめられた伏線から「真相」にたどり着くというミステリとしての側面があるのですが、両方とも中途半端でかなり笑える内容になっています。
こんな昔の作品を真面目に見るような人はいないと思うのでネタバレしますが、オムニバス形式になっている「放送禁止」の各エピソードの「犯人」は大抵、依頼者ないし真相を究明しようとする側の人間であり、初見で少しはあった意外性も、同じ手段が繰り返されるにつれて脱力の度合を増していくことになります。また、「伏線」として繰り繰り返し使われる「子供の落書き」にも失笑を禁じ得なくなってきます。というか制作サイドもわかってやっているのでしょう。
この番組をドキュメンタリーとして見る場合、最初に「この番組はフィクションです」と断り書きをされている以上、真剣に見ることの馬鹿らしさは論じるまでもありませんが、しかしミステリとして見る場合も、上に書いたお粗末さの故に、ドキュメンタリとして見る以上に茶番としか思えない。そして一方、そういった視聴者側の反応を製作者側もおそらく折込済みであろうことがこの番組の独特な雰囲気を作り出しているといえるでしょう。
現代はコンテンツが作れない時代だということがよくいわれます。価値観が多様化し、万人の共感を得る作品を作り難くなったことに加え、コミュニケーション志向のメディアが台頭し、人々が予想以上に、作品の内容より作品ついて語ることそれ自体に関心をもつ事が明らかになりました。そのような状況においては人々が作品についてこのように語るだろう、ということを先読みした作品が注目を集めることになります。(その一番古い例はらき☆すたかもしれません)
以上のようなことを前提とすると、真面目にコンテンツを創ることに対する妥当性に少なからず疑いが生じてきますが、「放送禁止」の徹底的な馬鹿馬鹿しさは、意図せざるものだとしても、一周回ってコンテンツ志向の隘路を打ち破るアイロニーだと好意的に解釈できないこともないかもしれません。