カツドンの動画を見ていたら、祖母からしょっちゅうお金をもらっていたカツドンは、そのように甘やかされたせいで社会に出た時に苦労した、したがって子供を甘やかしすぎるのはよくないことであり厳しく育てることが必要だ、ということを話していた。
しかし子育てに関して、子供を甘やかしすぎるのはよくない、あるいは厳しすぎるのはよくないということが言われるが、正しく子育てを行えば正しく子が育つという原因論的な見地に立っているという点で両方とも同じ罠に陥っている。甘やかして育てた子供が勤勉に育ち、厳しく育てた子供が非行にはしる、というような例はいくらでも見いだすことができるからだ。
カツドンは人生がうまくいかないことの原因は自分の外にあると何度も主張しているが、その考え方によって彼自身の自由を否定し、生きていくことを無意味なものにしている、という点に気づいていない。なぜそうなるか以下で説明していきます。
スピノザという哲学者は人間の自由意志を否定しました。自発的に行動しているつもりでもその行動自体が様々な原因に規定されておりその原因があまりに複雑に絡まり合っているため認識できないに過ぎないと考え、そのことをして人間は放られた小石のようなものだと言いました。しかしこの考えでは犯罪を犯した人間も当人にはわからぬ原因によって罪を犯したということになり責任を問うことができなくなります。カツドンがやっているのはこれと同じです。彼自分の不遇が、親や複雑な環境的要因に由来するというのですから。これは自分には自由がないと言っているのと同じことです。そして人間がすべて因果律に規定された不自由な存在だとしたら人生において成功しようが失敗しようがどちらでもよいことになります。生きている意味がなくなります。無論スピノザは自由意志の否定を、人間の生が無意味だというために主張したのではありません。「善人」が「善人」であり「悪人」が「悪人」であるのは因果によってでしかなく、だからこそ、実際に何をしているかが重要だと言ったのです。
しかしこの考えでは結局主体というものはなく「責任」というものがなくなります。そこでカントは「自由たれ」という道徳律を仮定することによってこの問題を解決しました。つまり人間は様々な原因に規定されていますがそれを自ら選び取った「かのように」生きろと言ったのです。カツドンチャンネルにはこういった視点が欠けていました。