ベルセルクは黄金時代編で完結した漫画であり、それ以降は書き込みの多いONE PIECEに過ぎない。などというと怒られそうな気もしますが、やはり黄金時代編の完成度の高さと比べると以降の展開に物足りなさを感じてしまうという人も少なくないでしょう。
精神分析において去勢と呼ばれる概念があり、これは人が人として社会生活を営むために欠くべからざる過程とみなされていますが、この概念を使えば黄金時代編について、腑に落ちる解説ができるのではないかと思います。要するに、主人公であるガッツがグリフィスの母親であり、もうひとりの主人公といっていいグリフィスもまたガッツの母親である、と解釈すれば合点がいくのではないかということです。いうまでもなくこのふたりの主人公は男性なので、この解釈は一見奇異に思えるかもしれませんが、精神分析でいう父親とか母親とかいうのは在る種の記号のようなものであり、生物学上の男性が心的な領域では母親の役割を果たすということもあるので、まあそこはそういうものだと納得してください。
去勢の過程
黄金時代篇はベルセルクという漫画の3巻〜13巻に当たります。1、2巻では主人公のガッツが誰かに復習しようとしていることが描かれるのですが、彼を復讐鬼にするに至った経緯が黄金時代編で語られるというわけです。
ガッツは義父を意図せず殺してしまって以降傭兵として各地を放浪していたのですが、その途上でグリフィスという男と出会い、彼の率いる「鷹の団」に所属することになります。グリフィスは剣技に長け権謀術数に優れた万能の存在として描かれます。この全能の状態が去勢される前の幼児期に相当します。ところで主人公のガッツはグリフィスと出会う以前は傭兵として日銭を稼ぐ以外に欲望を持たず、肉体の感覚のみで生きている人間でした。これもある意味で去勢以前の乳幼児と同じだといえます。去勢以前の幼児には肉体的な快を満たそうとする欲求がありますが、欲望はありません。精神分析における乳児は母親と自分との区別がついていないとされますが、欲望はその定義からして他者を媒介とする必要があり他者の存在しない幼児には欲望が存在するとはいえないからです。
去勢以前の乳児はあらゆる身体的快感を無媒介で絶対的な至福として受け取るとされますが、その快楽を与えてくれる母親が自分以外にも何かを欲望していると乳児が知るとき、その無媒介な快は切れ目を入れられることになります。これがまさに去勢という語の定義といえます。
グリフィスが巨大な野望(一国の王になるという)を持っていることを知ったとき、ある意味でガッツは去勢されたのだといえます。
そして結局ガッツはグリフィスと決闘し勝利を収め鷹の団を去ることになります。ここで連載が終了したとしてもある意味、物語としては成り立っているのですが、黄金時代篇には続きがあります。
ガッツに敗北し打ちひしがれたグリフィスは事を急いで王女と密通するのですが、その罰として名声と肉体的機能を失うことになります。ガッツはグリフィスの野心に感化されて自分の欲望を探すために鷹の団を抜けたのですが、これがグリフィスの他者を持たない全能感に切れ目を入れることになりました。この点について説明するためにナルシシズムという概念が必要になります。
グリフィスからみた自分に似たものとしてのガッツ
ナルシシズムという精神分析上の概念はギリシア神話のナルキッソスの逸話から名付けられています。有名な話ですが一応説明します。ナルキッソスという人が神を侮辱した罰で自分しか愛せないようにされてしまいました。その結果、水面に写った自分の姿に見惚れたまま、そこから動けなくなり衰弱死する、という話です。
自分しか愛せないナルキッソスの状態が一時的ナルシシズムに相当します。一時的ナルシシズムとは幼児期の全能感に浸った状態であり、ここから脱することができなければ象徴秩序に参入することができず、社会的に死ぬということなのでしょう。
ーーフロイトによれば自我の発達とは一時的ナルシシズムから遠ざかることである。だが実際には自我は、この一時的ナルシシズム的な完璧さを再び手に入れるために、自我理想という仲介者を通すことになる。これによってうしなわれるのは「媒介のない」直接的な愛情である。一時的ナルシシズムにおいては(小)他者=相手は自己と一体化していたが、これにたいして二次的ナルシシズムでは、相手=他者を通じてはじめて自分を感じ取ることができる。ともあれ一時的ナルシシズムを乱すもっとも重要な要素は「去勢コンプレックス」にほかならない。これがまさに己の不完全さを気づかせるからである。そしてそのためにナルシシズム的な完全性を再び取り戻したいという欲望が生まれてくる。ーー
全能のグリフィスは一時的ナルシシズムの状態にあり他者を持ちません。したがって「自分と似た若者」であるガッツもナルシシズムの対象となります。ここではーーグリフィス=ガッツ=母(精神分析の概念としての)ーーという等式が成立します。
グリフィスが破滅するのはガッツと決闘した直後の出来事であり、これがガッツの影響であることは明白です。ガッツが自分の欲望を持つこと(鷹の団を抜ける)は、幼児が、自分の母親も自分の欲望を持つのだと知ることと等価です。こうしてグリフィスの一時的ナルシシズムは損なわれ絶対的なものではなくなりました。
繰り返される去勢
先述のようにグリフィスは捕らえられ拷問されるのですが、ガッツを含めた仲間に助けられることになります。そしてこの後の展開がこの漫画を伝説的なものにしているのですが、グリフィスはかつての仲間を、自らが魔王(ゴッドハンド)として転生するための生贄として皆殺しにします(蝕)。これは一次的ナルシシズムを取戻すということです。そしてガッツの恋人であるキャスカを寝取ります。一方のキャスカは抵抗するわけでもなく、むしろグリフィスに自ら身を委ねます。これはエディプスコンプレックスそのものといってよい展開であり、3回目の去勢です。なぜなら以下に説明するように、いくつかの細部から、キャスカが、ガッツの母親のメタファーとして構想されたキャラクターだと断定できるからです。
キャスカというキャラクター
キャスカというキャラクターは鷹の団の紅一点であり、その昔、危機を救われたことからグリフィスに対して崇拝に近い感情を抱いています。ガッツとは性格の違いから反目しあっていましたが、紆余曲折を経て男女の仲になります。
ガッツは初めてキャスカと寝るとき自分の過去を回想するのですが、そこで想起されるのは子供の頃の自分の傍らに大剣が立て掛けられているというイメージであり、女性と寝るときに大の男が想起するものとしてはいささか不自然です。したがってこの剣はウィニコットのいう移行対象だといってよいでしょう。要はこの剣は、母親の代理としてのものだということです。
また、ガッツの義母のシスは精神異常者でしたが、キャスカも蝕の後、精神に異常をきたします。キャスカの精神異常は明確にシスの反復としてあります。
結び
物語のなかで一回しか去勢が行われなければ、その物語は、人以前の存在が何かを失うことで主体化されるビルドゥングス・ロマンとして単純に解釈できるのですが、ベルセルクという漫画では、ある一方の主体がもう一方の主体を去勢したり、かと思えば去勢されたり…というような振り子のごとき力学が与えられており、それがこの漫画を特徴的なものにしています。このような見地にたてば黄金時代篇以後の展開が退屈な理由は明らかです。強い敵を倒すとまた強い敵が現れる...という説話構造が繰り返されるだけでは単なる「少年ジャンプ」でしかなく、主体と主体が生み出すダイナミズムと比してあまりにスタティックだからでしょう。