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まつたけ大王のブログ

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質問箱やってる人、全員ばかです。


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質問箱というTwitterと紐づけられるサービスがある。その名のとおり、質問者が匿名で質問し、その質問に回答者が回答できるという単純明快なシステムのサービスである。筆者は2年近くこの質問箱を利用し千件以上の質問に回答してきたが故あって最近その利用を止めることにした。いま思うと質問箱を利用するのは不毛な時間だったと思う。というわけで質問箱に費やした時間を単に不毛なだけのものにしないために質問箱とはなんだったのか本稿で総括したい。

 
質問箱とはなんだったのか?という問いに対して、精神療法のようなものだと、ひとまず答えられると思う。
精神分析の成り立ちに影響を与えた出来事としてアンナ・Oの症例はよく知られる。器質的な異常は無いにも関わらず、さまざまなヒステリーの発作ーー幻覚が見える、水が飲めないなどーーに苦しめられていた女性が、症状の原因と思われる過去の体験を治療者に語ることで寛解したというケースである。ここでは諸々の症状が言語の代替物として表されており、それを実際に言語化することで寛解に至っている。またユング派の箱庭療法も自己を表現することが治癒効果をもたらすという点で共通している。実際、ユング自身も中年期に精神的な危機に陥った際、海岸での砂遊びによって精神の安定を図っていたという。"バーチャル版箱庭療法"とでもいうべきどうぶつの森シリーズを一定時間以上プレイすることで幸福度が上がるという研究結果もあるらしい。カール・ロジャースのクライアント中心療法の存在も自己表現に治癒効果があるという根拠のひとつになる。『家着いていっていいですか』という番組も心理療法みたいなものである。『昔からこの番組に出たかった』と番組スタッフに自ら取材されにいく一般人がいることがそれを証拠だてている。ちなみに番組プロデューサーは現代の"遠野物語自然主義"としてこの番組を企画したというがむしろ田山花袋の蒲団ではないか?当人らが自然主義だと思っていても多分に脚色され美化され"自然"は跡形もなく消え去ってしまっているのではないかと思う。
すこし脱線したところもあるが、以上のように自らの心の内容を自覚することはなにやらよいことらしい。なるほど、もし自分というものが存在しないとしたらそれはおそろしいことのような気がする。だから自分はここにいる、ということを確かめるために必死に他人という鏡を覗きこむのかもしれない。自分探しという言葉があるが暗に、本当の自分など存在しないと皆が気づいている。
人間には質問箱的なもの=自分を浮き彫りにするための他者(鏡)を求める性向があるということを述べてきた。しかしここで疑問が生まれる。いままで書いたようなことを自覚しながら質問箱を続けるのはとても馬鹿馬鹿しいことではないのかと。そういう次第で質問箱はやめたのだった(最初からわかっていたといえばわかっていたが、やめるのは勿体無い気がして続けていた。しかし匿名なのをいいことになりすましとかするやつが出てきてだるくなったのがとどめになった。あと回答がTwitterに自動送信されたりされなかったりするバグ?が全然なおる気配がなかったのもしょうもない。代わりにdiscordの部屋を開設したが、非匿名ということもあり使用感が全く異なるため一日に数十件も質問がくるようなことは無くなった。無論それで構わない)
 
最後に 質問箱をやるやつは馬鹿だと書いたが、この考えを徹底すると人と会話するのもなにもかも無意味になるのでこんな記事は理屈ばかのたわごと、極論と考えて鵜呑みにしないように。
 
 
 
 
 
 

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